feature articles 05/2001

次世代の時代



次世代機とは?

ここに来るような人なら当然のように知っていると思いますが次世代機とは、
94年に当時メジャー機種だったスーファミに代表されるゲーム機に対して
読んで字のごとく次の世代を担うであろうゲーム機の総称です。
とはいえ、当時は任天堂の新型マシン「プロジェクトリアリティ」(仮)が出るまでのつなぎ役争奪戦
としか考えられていませんでした。
では、どんな機種があったのでしょうか、
プロジェクトリアリティに対抗する次世代機を1つずつ解説していきたいと思います。



3DO

(解説)
1994年3月20日に発売された初の32ビット機。
インタラクティブ・マルチプレイヤーと名乗るこのマシンは音楽CD、フォトCD、CD-Gなどに対応しており
コントローラーにヘッドホンがつなげられるようになっていて音楽CDを使うときの利便性を高めてあるのが特徴である。
さらに別売りの専用アダプタを取り付ければビデオCDを見られることで18禁もの目当ての需要も見込まれた。

(発売ゲームの特徴)
比較的作りやすい実写もののゲームがやたら多くその大半は洋ゲー。
日本で初めて18禁ソフトの販売を許可したゲーム機であり
18禁ゲームの比率は全ハード中一番高く18禁の中でもカメラマンになるゲームや野球拳が多いのが3DOの特徴。
(ちなみにサターンは麻雀、FXはアドベンチャーの比率が多い)
しかも、実写ものばかりなので他のゲーム機のお子様向け(と言っても18禁)アニメゲームとは違い比較的本格派
(そういいつつ内容知らないけど・・・・)
一般向けのゲームでは単純なゲームとして実際に遊べるゲームはごくわずかで
そのほとんどが「クリスタルダイナミックス」製のソフト。
ある意味では3DO=クリスタルダイナミックスとも言える存在で
日本のメーカーの中では一番の牽引役を果たした「ワープ」と共に3DOの2大メーカーといえる存在だった。
あとは、ポリスノーツやストリートファイター2Xが家庭用に初移植されたハード
と言う意味合いでのポイントが高いと思われる。

(1ユーザーとしての見解)
元々78000円の予価が発売前に54800円に値下げしたり廉価版の機種をさっさと発売したり
変なところで妥協して安っぽいイメージをつけてしまったのが3DOの一番の失敗ではないだろうか
ビデオCDが標準装備でなかったことでエロユーザーの心を動かしきれなかったことも
最大の誤算のうちに数えられる。
また、発売が1年早かったこともあり性能面で他の次世代機に遅れをとると見るや
秒間100万ポリゴンの性能やDVD-ROMドライブ搭載などを基本とし
机上の空論とも言える「M2アクセラレーター」の構想で対抗したり、
当初からのウリの1つのネットワークへの接続も一向に進まなかったりで
結果的にウソで塗り固められたハードになってしまう。

(思い出)
ゲームショップに置いてあるカタログやデモをを友人達と見ながらスーファミカセットと比べて
映像的には明らかに魅力的なゲーム群への想像をふくらましていた。
特にアニメーションには目を引かれるものがあった。
皮肉なことだが、このスーファミにないものに対するあこがれなりフラストレーションなりが
サターン,プレステの購買意欲に向かったのは間違いないところ。


セガサターン

(解説)
発売日決定後に4日分発売延期になり1994年11月22日に発売。
64ビット級のゲームマシンとして売り出す(ちなみにメガドラは32ビット級といって売り出した経緯あり)
プレステより高い価格設定だったが、ゲームショップでは5000円引きや投げやりの15000円引きで売られ
店頭ではほぼ同額かそれ以下だったこともあり、プレステと比べた期待度の低さは否めなかった。
その原因として日陰者で閉鎖的なセガのイメージや
当初、ソフトがプレステに比べて平均2000円高かったことがあげられる。
ハード周辺ではやたらと拡張性が重視されておりそのほとんどが実現した。
よって次世代機唯一の有言実行ハードといえ、戦略的に正しいかどうかは別にすれば
そこは素直に評価出来るポイントである。

(発売ゲームの特徴)
バーチャシリーズなどのセガのアーケードゲームが独占的に遊べることがなにより大きかったが
他のメーカーの取り込みが上手くいかなかったため
サターンがあれば大半のアーケードゲームが遊べるといえるほどのタイトル数ではなかった。
セガハードの伝統を次いでか相変わらず普通のRPGは皆無に等しく
面白いかつまらないかの前に貧弱なポリゴンで無理に表現されたものや変わり種RPGばかりが目立った。
さらに18推や18禁という表現を認めたことでその手のゲームが当初から目立ち
ハードの隠れた牽引役になったが、セガに対するブランドイメージは低下した。

(1ユーザーとしての見解)
PSに比べたポリゴン数の貧弱さはともかく、一番、大きな欠点はムービーの画質だと思う。
結局、これを克服するために色々面倒なことになったり、
SSやPSがリアルタイムポリゴンハード1世代目だったことで満足のいく表現が出来なく
ムービーに注目が集まることが多かった。その点、画質に劣るサターンは不利であった。
j加えて値崩れが半端なく起こることで当初からのサターンユーザーは中盤以降ソフトを買い控える傾向にあったよう。
半数のゲームマニアにそっぽ向かれたサターンには全盛期の半分のユーザーしかいなかったことは間違いないところ。
(セガのゲームが売れなくなった最大の理由でもある。)
後は特徴でも述べたとおり、斬新な要素が中心の変わり種RPGばかりしか発売されなかったことも大きく
SCEが自社のプロデュースで平凡ながら丁寧な作りのRPGを乱発したのと好対照だった。
面白ければどんなジャンルでもいいと思っているほどユーザーは優柔不断じゃない。
ゲームアーツの大作「グランディア」頼みやドラクエの移籍頼みよりも
SCEのように自ら進んでオーソドックスなRPGが遊びたいという願いを叶えるべきだったのではないだろうか?
ただ、ドラクエ7は事実サターンに決まりかけ・・・ぐらいまでは行っていたよう。

(当時の状況)
当初は買った人間はゲームマニアという表現もやむなしの人たちだけでした(自分でいうのもつらいけど)
そんなサターンに転機が訪れたのは96年の3月、白サターン値下げの時。
95年の年末からのゲーセンビックタイトルの相次ぐ移植で注目度が上がっていたところでの値下げにより
一気にサターンが話題の中心になった。
FFは半額になり容量も多くなってPSで出る(とジャンプで宣伝していた)と分かっているのに
サターンを購入する人が多かったことでドラクエと並ぶとまでいわれたFFの意外な求心力のなさが
浮き彫りになったかに思われたのだが・・・



プレイステーション

(解説)
発売日は1994年12月3日で「1・2・3でゲームが変わる」をキャッチコピーに高い技術力で作り上げられたゲーム機で
ソニーが出すということやサードパーティやソフトの豊富さで発売前から高い注目を浴びたゲーム機だった。
他のゲーム機ほど拡張性を重視した作りになっていなくあくまでもゲーム機と いう姿勢だったのも好印象。
動画再生機能搭載、他と比べて抜きに出た3次元表現、ノンアクセスの3点がウリだが
ノンアクセスに関してはそれに当てはまるのは「闘神伝」ぐらいだった。
ちなみに型番SCPHー7000からはサウンドスコープ機能が付き、CDの読み込み速度が上がり
画像処理も改善され映像的にも綺麗になったのだが1つのハードでここまでの変化は
かつてのゲーム業界では考えられないほどだったため既存ユーザーからの批判が相次いだ。
と言ってもそんな事実すら知らずに幸せな気分のまま過ごした人の方が多いことも事実。
今、この文を見て知らなければ幸せだったと後悔する人もいるのではないかと思う。

(発売ゲームの特徴)
発売後しばらくはソフトがすべて定価で売られ値下がりしなかったため、
値崩れしないプレステと値崩れしまくるサターンの状況を見て新作はプレステソフトを買った方がいいと言う風潮になる。
(値下げしている店も探せばあったが、まさに米不足の時に日本米を買うような感覚だった。)
しかし、独占禁止法違反の疑いで公正取引委員会が立入検査をした直後に値引きが始まる。
ハード平均のゲームのレベルはかなり低いが、大作ゲームは遊びやすく新規ユーザーに優しいゲームが多く
ソフトの質の問題はあまり表には出てこなかった。
良くも悪くも期待通りの出来のゲームが多く
他の機種よりも売れないゲーム=つまらないゲームの方程式が成り立っていた。

(1ユーザーとしての見解)
プレステの一番いい点はなんと言っても動画再生機能になる。(サターンのところでも語ったが)
これのおかげでファイナルファンタジーの映像が綺麗だと言われたわけだし
ムービーがすごいと言う評価になったことは間違いところ。
ハードが普及したことについては宣伝が上手かったこととか色々挙げられているが
単純にスクウェアのソフト開発力が普及させたと言える。
(スクウェアが他機種オンリーで開発を開始したと仮定して考えればわかる。)
あと、残酷表現シールの対応は上手かった。
規制しているという事実+残酷表現シールへのユーザーの興味
不謹慎ながら規制を逆手に取った戦略だったと思う。

(当時の状況)
初期の購入者はスーファミ時代にはあまりゲームをやったことがない人間が多いことが特徴だった。
そして、ときメモが発売になるとPSユーザー=ときメモ信者集団の図式ができあがり
ときメモの話ばかりしている輩が増えゲームユーザーが白い目で見られ始める。
思えばゲームユーザーがオタクになったのは、ここからが始まりだろう。
それまでパソコンオタクという言葉がゲームにオタクにスライドしてきたような感覚だった。
さて、サターンとは95年末まで完全に互角。そして、96年3月に大きく水をあけられたのだが
8月のトバルNo1発売前後に初期からのサターンユーザー自体もプレステを買い。
(濃いゲームファンは普及した機種全て手に入れてしまうというのもサターンに不利なポイントでしたね)
FF7発売を控え64に失望したスーファミユーザーが重い腰を上げプレステを買った時点で勝負ありという感じだった。
64が成功していればプレステとユーザーを食い合ってさらなる戦国時代へと突入したと思われる。



PCーFX

(解説)
1994年12月23日に発売、当初発売日は12月9日だったのだが急に延期になった。
開発当初ゲームとしての動画の表現に力を入れていたハドソンにより
「テツジン」と呼ばれるチップを搭載する事に変更され「開発コードテツジン」(仮)と呼ばれ、
そのためリアルタイムでのポリゴン表現は出来ないが動画再生能力に優れたハードになる。
さらにPCー98シリーズのパソコンとの連携や他のハード並の拡張性を兼ね揃えた
「マルチメディアエンターテイメントプレイヤー」(キャッチコピー)だった。
PCエンジンと若干似ているスペックなため、互換性があってもおかしくなったが
結果的に互換性はなく、それが致命的だったと言われている。

(発売ゲームの特徴)
FXの動画再生機能を利用したソフトが多かったと言いたいところだが実はそんなゲームはあまりなく、
FXのゲーム=パソコンゲームに音声とオープニングアニメを加えたもの と言う感じの状況は否めなかった。
比較的作りやすい実写ゲームやアニメからの流用的なゲームばかりでも
もし、たくさんのゲームが発売されていたならば状況はかなり違っていたはずである。

(1ユーザーとしての見解)
他機種より高めの価格設定はPCエンジン時代と全く同じ設定だし
ポリゴンの表現が使えないこともいち早くCD時代になりアニメゲームが中心となったNECハードにおいては
全く関係なかったが、なによりも一番の誤算はプレイステーションというハードの存在あったと思う。
当初からPCエンジンの後継機種と噂されナムコのアーケードゲームの移植や
PCエンジンユーザーの密かな楽しみ「ときめきメモリアル」がさっさとPSに移植決定し
PCエンジンユーザーの専売特許だった(今では)ギャルゲーと呼ばれるゲーム群がFXではなく
プレステを中心に動くことになった。
初期のプレステは2大看板(言うなればナムコのAC移植からギャルゲーへのコンボ)も
ハード的な位置付けもイメージもPCエンジンに完全に被っていた。
結果的にFXよりもPCエンジン的なプレステに完全にポジションをとられたあげく
共同開発元のハドソンにも早々に天外魔境の他ハードへの展開という最大の裏切りをされることになり
破滅へと向かっていく・・・・・

(当時の状況)
天外3がPCエンジンからFXに移ったことで
アーケードカードまで買った濃いPCEユーザーからの信頼を完全になくしてしまったことが痛かったと思う。
要するに天外3のFXへの移動はマイナス要因でしかなかったということ
CDーROM2の上位互換機がPC−FXならば天外3は予定通りPCエンジンでさっさと発売し
3部作のシリーズ完結で一件落着だったことは間違いない。
(カリバーボーイの開発が大変だったことも理由にあったらしいが)





次世代機?


ネオジオCD
1994年9月9日発売
ネオジオのソフトを移植するためRAMの容量が7M(Mはメガ、単位はバイト)と言う驚異の容量を
持ち合わせていたハード(サターン+4MRAMでも6M)
そのために読み込みは極端に長く一番のウリの格闘ゲームが遊びにくいゲーム機になってしまう。
3倍速ドライブを搭載したCDZも発売されたがそれでも読み込みは長く普及には最後まで尾を引くことになる。
ただし、ネオジオのバカ高いカセット代が浮くと言うことで庶民的には嬉しいハードだった。
しかし、セガとのクロスライセンス契約と言う言葉で結果的にネオジオユーザーをはぐらかした感のある
「SNKのサターン参入」によりハードの存在価値が大幅に低下。
(結局、ネオジオというハードでセガのゲームを見られる日はこなかった。)
余談だが「真説サムライスピリッツ武士道列伝」の出来はネオジオCDが一番いい
ネオジオCDの特徴を上手く使った作品。


プレイディア
1994年9月23日
「BA−X」(仮)としてなぜか他の次世代機と同じ様な扱いをうけていたマルチメディアマシン。
ハード的には動画がかなり綺麗(薄い感じなんだけど・・・・)
コントローラーは強制的にワイヤレスで反応が遅いのが特徴。
CMでは安達裕実を起用していたのでプレイディア=安達裕実のイメージの人も多いはず。
ソフト的にはフルムービーで選択肢によりストーリーが変化するという
プレステのやるドラの3年先をいったジャンルのゲームが多かったが、
結局、声優ファンにピンポイントなソフト「エレメントボイスシリーズ」の登場により
ハードの後期はごく一部の声優ファンのためのハードになる。


スーパー32X
1994年12月3日
「SEGAの感謝の気持ちです」を合い言葉にメガドラ並の常識を越えた低価格(?)で出た
アメリカでのセガのシェア存続のためだけのゲーム機。
ソフトの質は見る人がみればかなり高かったがソフト数が少なかったこととセガの主力が
すでにセガサターンだったことで存在意義があやふやだった。
ただ、このゲーム機のソフトラインナップである程度納得できるか出来ないかで生粋のセガマニアかそうでないか
決まるともいえるので、ある意味、踏み絵的なハードだったことは間違いない。
発売当初32Xをつけるとジェネシス(海外のメガドラ)ソフトが動くという「誤報」をファミ通がしたのは有名。


バーチャルボーイ
1995年7月21日
テレビゲームでも携帯ゲームでもない新しいゲーム機のスタイルになるかも知れなかった
昔あった「眼鏡をかけると3Dに飛び出してくる」タイプの進化版ゲーム機。
しかし、テレビを使わないゲーム機と任天堂が説明したこともあり雑誌の扱いが
「でかい携帯ゲーム機」というものだったことで「あんなものを電車で出来るか?」的に言われ
世間の笑いものになってしまう。
そして『携帯ゲーム機』の枠で捉えられてしまったことがこのゲーム機の最大の失敗となる。
性質上、雑誌ではすごさが伝わらなかったのが残念なところ。
そのため任天堂スペースワールドでは
ハウスに入ると中のものが3Dに見えるアトラクションのようなものを使って宣伝していたのが印象的だった。
その奇抜さからくる必要以上の期待のため、
ゲーム誌ではバーチャルボーイで出す意味がないソフトはすべて酷評され
結果的に他機種からの移植という道が閉ざされてしまう。
このことがバーチャルボーイとユーザーの首を閉めてしまったことは間違いないところ。
さらに5分やったら気持ち悪くなってしまうと言う欠点とセーブが出来ないことの相乗的なマイナス要因もある。
ただ、眼鏡型ハードだからこそ映画館のような臨場感があったこともいえるわけで
ゲームユーザーなら一度は体感して欲しいと思う。


さらなるアウトロー達

「ジャガー」
「ジャガー」は米アタリ社最後のゲーム機で
サターン,プレステなどと同時期に既に64ビット機としてさらに超価格で発売されたゲームマシンだった。
とはいえ、グラフィックは自体は16ビット機〜32ビット機の中間レベル(SFCに毛けが生えた程度)で
テンキー付きのコントローラーなど奇抜なデザインで完全な色物扱い。
日本向けに発売されたのは2000台だそうで

「ピピン@」
「ピピン@」はマックの機能を持つゲーム機でパソコンともゲーム機とも言い難い中途半端な存在だった。
マックユーザーにしてみればこれのお陰でBDEの良質なガンダムソフトが楽しめたことが
何よりの収穫だったと思う。



そしてついに・・・・


ニンテンドウ64
1996年6月23日

「プロジェクトリアリティ」→「ウルトラファミコン」→「ウルトラ64」と呼び名を変え
ついに1995年11月25,26日に行われた「ファミコンスペースワールド'95」で世界初公開となる。
(このイベントにはもちろん行きました。初めて64を目にした時の興奮は今でも忘れられない。)
しかし、その後96年3月に少年ジャンプ紙上にてFF7はPSで発売することが発表され
この時点でトップを走るセガサターン、FFが出ることで巻き返しが期待できるプレイステーションとの3強説が有力となる。
ドラクエの最新作が出る機種がトップをとる情勢になったことでエニックスの動向が重要視されましたが
エニックスは早々と「ワンダープロジェクトJ2」を64で発売することを決めていたため
ニンテンドウ64の地位は安泰と思われ、64発売と同時に爆発的な売り上げをみせた。
しかし、それと同時にソフトの値段の高さやゲームソフトの不足によりユーザーの不信感は高まり
8月あたりには売り上げが鈍化する。
それを見届けてかエニックスは97年1月にプレステでドラクエ7を出すことを発表し安心したユーザーは
プレステの方へ流れ次世代機戦争は終結する。



おまけ

ドリームキャスト
1998年11月27日

この日、結果的に史上最大の奉仕活動とも言えるドリームキャストが発売になる。
中途半端な時期に発売したため第3世代のなのか第4世代なのか
当初は位置づけが明確ではなく様子見的なユーザーが多かった様。

ゲーム機的にも無理にリアルタイムCGにこだわったため
確かに映像的には綺麗なんだけど、プレステのムービー表現と比べてしまうと明らかに劣り
一般人にはすごさが伝わらなかった。
(FFが全編CMで流れるムービーのクオリティだと思ってる人も多かったし・・・・・)
やっと見栄える程度のドリキャスでは、まだアピールするのは早かったわけ

ゲーム機の価格も中途半端な29800円
セガサターンが発売当時44800円、当時でも20000円だったことを考えると
しばらくの間(結果的に1年半。もちろんパソコンでも使える)プロバイダー接続料が無料な上にモデムもついて
この値段は驚異的な価格。
(逆に言えば月2000円でプロバイダー契約すれば本体はただだったようなもの)
さらに驚くべきことに次世代以降当たり前だったゲーム機の販売価格の赤字をなくしたのである。
これはサターン時代の教訓を生かしてのことだった。